2012年8月11日土曜日

京丹後の夏休み*まちづくりのこととか



京丹後の夏休み。

ちょうど1年前の去年の夏休みは、
3.11の傷跡深い岩手~宮城の旅に出かけたのだった。
がれき、仮設住宅、海。緑深い平泉、さんさ祭り、石巻の川開き。
色濃い景色ばかり見てきた旅で、人の心を感じた1週間。 

2011.3.11 東日本大震災。
その時を生きた私たちは、絶対忘れちゃいけない。

やっぱり人って“忘れる生き物”。
恥ずかしいことに、ブログを読んで、当時の感情を思い出した。


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さて、今年は、京都の日本海側の京丹後に出かけた。
京丹後に行く理由は「尊敬していて大好きな友達が行くから」。
シンプルな理由が一番もっともだし、
「まちづくりを学びたい」なんて答えのない問いを用意したら
その場面、場面での感動を損なう気がして。
問いはなく、感じることが今自分が求めている答え。
結局、3日間で、素朴で、地味で、ちいさなちいさな活動が、
とても大事で、尊いことを改めて感じたのだった。

↓ちゃっかり、新聞にも載っちゃった*
     
 



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京丹後で出会えたのは、
晴れた日本海の海のように心が澄んでいるキラキラした方々だった。

◆「此代地区の良さをたくさんの人に知ってもらいたい」と
 地域のレストランを営む、地元のお母さん達。
 課題は、高齢化に伴う、若手の人手不足。
 利益度外視。ボランティアで働く従業員さん。
 おいしい地元のお食事でおもてなし。
 レストランの中の大きな窓からは、雄大な日本海を魅せる。
 レストランまでの海沿いの道路には、色とりどりの花を植える。

◆京丹後は自分たちで守る!と意気込む、京丹後クラブのみんな。
 地元で生まれ育った20代の若者が、仕事の傍らゴミ拾いや棚田の保護に励む。
 「派手に遊ぶような若者でない子たちが」「人に役に立ててうれしい」」
 「活動は目立たなくていい、広げようとも思わない」

 素朴で単純で、本質的で、風化しない思い、ヒト。


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それで地域活性とかいろいろ感じたけど、
実は、最近あんまり腑に落ちないことがある。
コミュニティなんちゃらとか、ソーシャルなんちゃらとか、
フューチャーなんちゃらとか。
そんな風にして「人を集めよう」っていって、
集まってくるのは外部の人が多かったりする。
それを見過ごして、かっこいい名前を付けても、ねぇ。

だからこそ、京丹後みたく地元の方々が手弁当で、
行動を起こし、地道に地元を守っているのは素敵。

だけど、そうなんだけど、
それを「継続」させようとした時、
利益をあげること、組織化すること、会社を興すことが求められる。
でも、できない。「継続させたいけど、やり方がわからない。自信がない。」

そのヒントが、コミュニティなんちゃらとか、ソーシャルなんちゃらとか、
フューチャーなんちゃらとかなのかしら。
勉強不足だけど、今一つ、仕組みがもの足りない気がする。
それが、今の地域の課題だと感じる。

これからもっと学びます、ふふふ。

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青梅から京丹後まで行くには、車で半日かかった!
でも、距離は遠かったけど、彼らとの心の距離は近かった。

価値観は一緒。やっぱり私も田舎もんだで。田舎大好き。

また会いたいです^^ みなさま、ありがとうございました◎

2012年1月15日日曜日

時代を生きている

今日は2012115日。
昨年の年末からこの2週間の間で
昨年の出来事をこのブログに書き綴ろうと振り返ってきました。
でも、それはそれはたくさんの出来事があり、
ストーリーとして言葉を紡いでいくのが難しくて書けませんでした。

ですが、内田樹さんのブログ(-※1)を読んで、一本の筋が見えてきました。
「今の時代を生きている」という言葉が心にすとんと落ちてきたのです。

「生きている」という言葉は、
“一生懸命がむしゃらに”とか“生き延びてきた”というニュアンスではなく、
「人生が変化している」という捉え方です。

つたない文章ですが、そのことを物語る出来事をご紹介したいと思います。

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昨年の2月、鳩山元首相が推進していた「新しい公共」に関心があった私は
民間で作られた「あたらしい“新しい公共円卓会議”」(-※2) 
のMLに登録しました。
その組織は不思議な集まりで、何か具体的な活動内容を持っているわけでもなく、
代表がリーダーシップをとるわけでもなく、
単に“新しい公共”に共感する人々が集う場でした。
同じ関心層を集めやすいというインターネット特有の性質を利用した面白い集まりです。

そこで私はこの活動に興味があることをこのメーリングリストに流しました。
すると、八王子市の市民活動を精力的に行う方から、ある組織を紹介されました。
もちろんその男性には会ったことはありませんでしたが、
好奇心から「とりあえず行ってみよう」とその組織を訪ねました。

それが、公益社団法人日本フィランソロピー協会です。
なぜその協会を紹介されたかというと、
その協会を引っ張るスタッフさんが私と同じ青梅市に住んでいる、
という地縁からでした。でも会いに行ったのは大手町。なんだか変な話ですね。

お会いしてみると、その方はとても物腰柔らかく優しいオーラをまとっている一方、
姿勢をしゃんさせてテキパキとリーダーシップをとる素敵な女性でした。
その方の魅力に惹きつかれた私は、
その協会が主催する23日のNPOの次世代リーダー育成プログラムに
学生スタッフとして参加することになったのです。
(昨年の3月までは私は大学4年生でした。)
全国の若手NPOリーダーが集まる空間で繰り広げられる、
関心のある公共の分野での勉強会に
とても興奮したのを今でもはっきりと覚えています。

その研修のとあるセミナーの講師にイケダハヤトさんという方がいました。
ソーシャルメディアを利用した広報や企業マーケティングのコンサルタントとしては、
国内では第一人者と言われる方です。
彼もまた飾らない素敵な方で、面白いことには「いいっすね!」と
わくわくした表情で興味深そうに話を聞いて、アドバイスをくださる方でした。

そこで私は彼を青梅市に招こうと考え始めました。
というのも、私は地元青梅市でまちづくり団体(-※3)を立ち上げ
セミナーやイベントを開催していたのです。
青梅に呼ぼうと思ったのは、「彼にもう一度会いたい」
「彼の知っている新しくてわくわくする世界を地元のみんなに伝えたい」
という気持ちからでした。それをふと思い立ったのは、昨年の4月。
彼を招いたセミナーが実現したのが昨年の9月。
イケダさんの魅力からでしょう、そのセミナーは好評のうちに幕を閉じました。

そして、ここでまた新しい展開が起こります。
イケダさんから「『スペンドシフト』を著したジョンガーズマさんからの
インタビューを受けないか」というお話をいただいたのです。

というのも、イケダさんが雑誌プレジデントで対談(-※4)した際に、
「まちづくりをする女性リーダーの話が聞きたい」という話を
もらっていたから、ということでした。

なんということでしょうか、なんてことない青梅市に住むまちづくり好きな22歳が
海外の有名な著者さんからの取材を受けることになるとは。
(…取材は10月に受けてきました。
その後の展開はこれからのお楽しみになっています。ふふふ*)
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さて。
昨年こうして体験した出会いの連鎖の中で、
私はブログではご紹介しきれないくらいの方々との出会いと
もったいないくらいの経験をさせていただきました。
このことから、人生は変えることができるのではなく、
結果として「人生が変化していく」のだと、私は感じています。

そうした機会に恵まれる人生を生きるために大切なことは、
1.自分の“好き”を素直に楽しむこと。
2.好きな人や尊敬する人に会いにゆくこと。
3.不特定多数の人がいるインターネット社会に臆病にならず、
自分の想いをありのままに発信すること。 
そうすれば、時間や距離や所属の概念を超えて、想いが人をつなぎ、
自分の進みたい方面に自然と目の前の道が開けていきます。

内田さんのブログのように今の時代を生きるのは困難かもしれません、
けれど、この時代を楽しむコツが存在することを私は学びました。

2012年はどのような人生を生きていくことになるのでしょう。

繰り返しになりますが、
私は、人との出会いを大切にしています。
また人々を素直にさせる自然や文化を育む地域も大切にしています。
そして、彼らへの感謝を形にできる仕事をしたいと考えています。
自分の至らなさや、やっていることとの隔たりに苦しむこともあるけれど、
2012年も好きなことにまっしぐらと、前向きに一歩一歩あゆんでいきたいと思います。

最後になりましたが、様々な出会いを通じて
いつもいつも素敵な機会をくださるすべての皆様に感謝申し上げます。

<参照>
※1 内田樹さんのブログ http://blog.tatsuru.com/2012/01/09_1228.php
※2 あたらしい“新しい公共円卓会議”HP http://purc.net/
※3 青梅市のまちづくり団体 民立おうめ楽校のブログ http://umekou.jugem.jp/?eid=20
※4 イケダハヤトさん×ジョンガーズマさん対談記事 http://president.jp/articles/-/5073

読みづらい文でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました*

2011年10月3日月曜日

祈りの花火

10月1日は二子玉川の多摩川花火大会だった。震災の影響で延期になったもの。会場のみんなが待ち焦がれた時間。花火の明るさには、心のもやもやを吹き飛ばしてくれるパワーがあると思った。

延期にしなくてよかったのではないか。花火を見上げながら、一瞬の光に祈り、音を心に響かせ、感動を口にし、一緒に花火を見ている人を大切に思う。昨日のあの時間は、そんな尊い時間になっていた。

それは、今年の夏、岩手県一ノ関市で行われた花火大会で感じた雰囲気とは違った。どちらも同じ河川敷で見る花火だけど、震災から5ヶ月後の夏の一ノ関市はもう日常を取り戻していた。熱くてパワフルで、子供の騒ぎ声が聞こえる、いつもの夏の一コマのようだった。

全国の花火大会も、いつも通り夏に開催すればよかった。そして、現地にいないからこそ、何もできないからこそ、みんなで祈る時間にすればよかった。そこで、寄付を集めればいい。

被災地の出来事に心を傷めた方は日本中にいる。我がごとのように心配したけど、何もできず、悩み苦しんだ人もたくさんいる。

花火には、彼らも救うパワーがあった。来年は全国で盛大に花火大会を。祈りと未来への希望を込めた打ち上げ花火を。

2011年9月27日火曜日

うめ校の1年間のほんとのところ。 #umekou


青梅で「民立おうめ楽校」という市民参加型のまちおこしをはじめて、1年。
勢いばかりで始めてしまい、色んな方に迷惑かけてきたけれど、3つの割り切った考えを持って活動し続けた。

1.失敗をよしとする。
2.後悔しても始まらないから今の自分をよしとする。
3.変化することを恐れない。
いまや、この考えは身体にしみついている。どんな場面でも思い切って、この考えに基づいて行動する。あとは、「自分のまちに貢献したい」っていう芯さえ強く持っていれば、どれだけ内容が変化しようが、環境が変わろうが、竹のようにしなやかにぐんぐんと成長するはず。

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うめ校(民立おうめ楽校)で決めていることは特になくて、
「とにかく2カ月に1回は、青梅・奥多摩にとって良い活動すること」

テーマは限定していないし、参加人数もこだわらない。
青梅にとっていいことだと信じたことをやりぬく。
その過程で人に迷惑かけることも、怖がらないことにした。

そんなこんなで見切り発車で始まったうめ校。1年の間に、次々と新しい活動指針ができた。

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「共感から協働へ」
半年を過ぎたあたりに、ふと浮かび上がったうめ校のスローガン。
たくさんの人を巻き込む魔法の言葉。平たく言えば、「うめ校の考えがよいと思う人、一緒にやろう」というメッセージ。

うめ校が共感を求めるのは、
「自分のまちに関心を持とう」「まちにいいことをしよう」「まちの仲間を大切にしよう」「ネットワークを作ろう」「自分のまちを楽しもう」「青梅・奥多摩を盛り上げよう」…といった単純な考え方。

でも活動していると、うめ校に共感してたくさんの人が集まってきてくれるのだった。こうしてどんどん「共感」は増え、うめ校の活動は広がりを見せている。

わかったのは、うめ校に興味を持つ人はだれも、素晴らしいマニュフェストなんて求めてないということ。市民の心を動かすのは、自分のまちにいいことしたいなっていう気持ちを後押しする、ちょっとしたビジョン。

誰だって、自分のまちは好きだし、大切にしたい。
そうした気持ちを尊重するのが、うめ校。
そうした気持ちに寄り添った存在であるのが、うめ校。
そして、その気持ちを行動に変える機会を作るのが、うめ校。

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そう表現するとちょっとうめ校がカッコよく聞こえるけれど、舞台裏はとっても泥臭い。
子どもがターゲットのイベントの時は、子どもが集まる市民会館で1人、チラシを配り続けた。うめ校第一回イベントの時は、危機迫る勢いで市役所の市民活動推進課に乗り込んだ。(後日でその時の窓口担当の方に「あの時と比べたら落ち着いたよね」と言われたのだった(汗))ネットワークを作るために、ボランティアセンターに訪れ、NPOを訪ね歩き、ままならない団体紹介をしては、なんだか恥ずかしくて落ち込んだ。
でもそれは、今も変わらない。結局人を集めたり、動かしたり、まちを変えたりするのって、泥臭いことをひたすら続けるってことなんだろな、って今も思う。

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ようやく共感してくれる方を見つけても、共感だけじゃ、参加費払ってまでイベントには参加してくれない。大切なのは、「主催者が楽しみ、参加者を楽しませること」

青梅・奥多摩ってほんとに素晴らしいところで、自然がたくさんある。だから大人でも楽しめるようなアクティビティはたくさんある。しかも、その魅力をより一層楽しませてくれる、アウトドアスポーツもたくさんある。

うめ校はそうした「楽しいこと」を満喫できるイベントを作る。「まちにいいこと=楽しいこと」だったら、人は休日でも喜んで集まってくるはず。まぁそんなにとんとん拍子に進んだはずもないけれども(苦笑)。

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「つながりを作る」
奮闘しながら1年間活動していると青梅を盛り上げたいって人にたくさん出会った。うめ校のブログによく出てくる、素泊まり宿さん、ネイチャーガイドさん、市職員さんなどなどなど。

彼らと語る機会がたくさんあった。そこで思ったのは、彼ら同士をつなげたらもっと青梅が盛り上がるんじゃないかなってこと。だから、うめ校はイベントに「つながりをつくる」要素もいれていった。

うめ校が目指す「つながり」ってただ単に、「こんにちは」っていう挨拶ができるようになる間柄ではなくって、青梅を語れる間柄。それには時間がかかるから今も絶賛挑戦中。だから、彼らには仕事後にも喜んで会いにゆく。会いたいし、話したいし、一緒に考えたいし、つながっていってほしいし。
片思いでひとりよがりかもしれないけれど、それでもいいや。

市外で地域活性をモットーに活動する人も、うめ校のお手伝いをお願いしている。「自分の町を大切にする人は、他のまちも大切にする」、今年の夏、東北にボランティアに行って学んだこと。

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…うめ校のほんとのところなんてこんなもの。
なんだかあまりにも立派な理念を掲げた大した団体のように見られているような気がして、ちょっと最近どぎまぎしてきたから笑、告白してみました。

見切り発車で、変化ばかりする、カメレオン列車。いまや、活動場所を青梅から奥多摩まで広げようとしています。いつまでやるかも決めてないから、運転休止もあり得ます。

だけど、走るときは、青梅・奥多摩のためになる方面しか目指しません。青梅のために活動する方しか乗車してもらいません。そして、今あるまちにあった色に変化し続けます。協働のお話、市民活動のご相談、大歓迎です。

こんなうめ校でよければ、これからもどうぞよろしくお願いします。
2011/9/27 うめ校 代表 山岸怜奈

~抽象的な説明ばかりでごめんなさい。
 うめ校のイベント等の実施報告はブログに掲載しています。こちら↓~
    http://umekou.jugem.jp/

2011年8月9日火曜日

宮城~岩手の旅で、私のココロが動いた時。

宮城県の北半分と、隣り合わせる岩手県の南半分をめぐる旅に出た。6日間かけて、石巻市では被災地で「ボランティア」を、石巻市から宮古市までは被災地の「見学」を、岩手県の盛岡市と平泉町では「観光」をしてきた。

その時の感情をありのままに、つづってみたいと思う。



◆石巻駅前ロータリーにある石碑には、石巻市民憲章が刻まれていた。
『…まもりたいものがある それは生命のいとなみ 豊かな自然 
   つたえたいものがある それは先人の知恵 郷土の誇り  
たいせつにしたいものがある それは人の絆 感謝のこころ 
…わたしたちは 石巻で生きてゆく 共につくろう 輝く未来』

とてもきれいな文章。言葉が押しつけがましくなく伝わってくる。素直に思う。「まもりたい」と「つたえたい」と「たいせつにしたい」と、心から思う。
津波の被害を受けた石巻では、どれほどの生命が流されたのだろう。郷土の誇りはどれだけ失われたのだろう。この市民憲章は、石巻市民の切なる願いであると同時に、「守れなかった、伝えられなかった、大切にできなかった」現状を突き付けているのではないか。津波で汚れたはずのピカピカの石碑。石巻市民の願いと失われた無念を感じ、悲しくなった。



◆田んぼに流れ着いたガレキの撤去をした。
200×100メートルほどの田んぼにボランティアは約50名、9時から15時まで。「田んぼに必要ないものは全部拾ってください」。田んぼの中には、巨木・電信柱・コンクリート・一升瓶・着物・木片など。ガレキと言われるモノの撤去を手作業で進めた。巨木は男性およそ20名が、「せ~の!せ~の!」と声を合わせて転がして隅に寄せた。

その日は雨が降っていた。カッパを着ての作業。ぐちゃぐちゃの泥の上で一輪の台車を押す。粘り気のあるヘドロがグニュッとして、足の踏ん張りが効かない。10センチほど積もったヘドロと格闘しながら、撤去作業を続けた。午後になると雨がやみ、気が付けば田んぼにはガレキがなくなっていた。すがすがしい気持ちになった。

それでもたった200×100メートル。地道な作業が今も続く。田んぼに流れ着いたままのヘドロをどうするかもまだ決まっていない。ヘドロが田んぼを不毛の地にしている。「お米ができるまでにどのくらいかかる?」なんて、途方もなくて答えが出ない。今はそんな状況。

でも作業中、いやな顔をする人はだれ一人いなかった。「これからこれから!」頑張る元気をもらって田んぼを後にした。



◆港・湾・河川と接する、石巻、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古、田老。私が2日間かけて見学した市街。

家がない、あっても一階部分がない。家が建っていても、窓ガラスがない。
全員が無事だった学校に入っても、机がない。名前が書かれたランドセルはあったけれど、置き去りのままだった。

失われたモノばかり。汚されたモノばかり。荒れ果てすぎて、あっけらかんとしていた。灰色のモノと茶色く錆びたモノと、炊飯器などの人が使っていたらしき小さなモノと、たまにあるひまわりの黄色ばかりが印象に残る。

5か月の間に片づけは進み、流された家や車が山のようにまとめられていた。生活感のあるものはなにもなく、不思議と悲しみは感じなかった。元の姿も想像できなかったから。だけど、たまに手袋や長靴を見つけると「ビクッ」とした。頭では多くの人が亡くなったって知っているから、人のカタチが怖かった。ガレキの下に人が入れそうなスペースを見つけては、気になったけど覗けなかった。

家の壁面に、“4/24確認済”と赤のスプレーで書かれていた。たくさんの車や家に書かれていて、5月以降の日付もあった。「何を“確認”したのだろう」赤のスプレーの文字に目が釘づけになり、時間が止まったように感じた。



◆避難所でこっそり『身元不明者リスト』を見た。
リストの項目には「~~~の海底・緯度~~・経度~~/ 中肉~~~ /ジーパン~~~/ ~~にほくろ」といった文字が並ぶ。発見場所は海底が多かった、ように思う。あぁ、ほんとに人が津波にさらわれたんだなと思った。文字通り、さらわれたのだと。

手にしたリスト、見ていないページはまだあった。でも、それ以上開くことはできなかった。私が見てはいけないモノだと思った。このリストを見る方の気持ちを考えたら、息苦しくなった。私は避難所を急ぎ足で去っていた。



◆津波に襲われた小学校の黒板。
きれいに消されていたけど、うっすらと「三月十一日(金)日直:○○」という文字が見えた。名前からして日直は男の子だろうか、元気かな。

荷物を片づけに来たのだろう、黒板には子どもの字でメッセージが書かれていた。「みんながんばろう」「がんばれ!!」「がんばろうね」「みんな元気ですか」「とーきょうにいる」「3月11日皆忘れるな!」

被災地を案内してくれたのは、10年前、小学6年生だった私のクラスの担任だった先生だ。一緒に見学をした残りの3人も現役の小学校の先生。彼らはこの学校をみて、普段の教室との違いにどれだけ胸を痛めているのだろうか。「被災者の子どもと東京の子どもと何が違うのだろう?」、そのこととどうやって折り合いをつけるのだろう。学校に戻って何を伝えるのだろう。事態を受けとめ、悲しい現実を乗り越えるつらさを思うと、いたたまれなくなった。

小学校の時は止まっていても、3月11日(金)1446分から確実に時は過ぎている。幸運だった私たちが何を伝えるのか、どう行動するのか、悩みながらも前に進めたらいいと思う。



◆見学を終え、内陸部の盛岡市に着いた。
盛岡を代表するお祭り、盛岡さんさ踊りの日だった。信号が動いていて、浴衣着た茶髪の若者たちがルンルンしながら交差点を渡っていた。灰色と茶色以外の色を目にするのも、若者に会うのもなんだか久しぶりな気がして、見ているだけで元気が出てきた。

私は旅行初日に、石巻の川開き祭りにも参加していた。今年は例年実施している灯篭流しに、供養の意味を込めていた。そこには若者がたくさんいた、浴衣着てルンルンしていた。そう、盛岡のお祭りと同じ光景だった。

けれど違った。灯篭流しを眺めながら泣いている人がいた。隣にいる子どもが高く細い声で「ママ」と呼び掛けていた。私は橋の手すりから最前列で灯篭を覗いていたけれど、後ろにいた“ママ”にその場所を譲った。そして若い人にまぎれて、屋台に並んだ。そのほうが気が楽だった、涙する方の気持ちに寄り添うこともできなかった。この時、旅行の間ずっと感じていた無力感をもっとも感じた。あたりを見渡すと、涙する人を他にも見かけた。彼らは灯篭流しを見たのち、静かに会場を後にしていた。

津波に襲われた地域と襲われていない地域では、被害のレベルが違う。それは、現地の方もおっしゃっていた。盛岡のお祭りと石巻のお祭りは全然違う、私はそう感じた。



◆岩手県の海岸、浄土ヶ浜にも立ち寄った。
白い砂浜に透き通る海水、青い空。てっぺんに木々を生やしながら所々とがった白い岩が、海水から頭を出していた。のどかで趣きある海岸だった。
ズボンのすそをぬらし無邪気に遊んだ、楽しかった。海は怖くなかった、心がいやされていた。ねっ転がってもみた、気持ちがよく眠ってしまいたいと思った。

見学を通して、海は怖いのだと、人を喰うものだと感じていた。だけど、そこにある自然はきれいで穏やかで、すべてを包み込むような寛大な空間だった。今度はあの海で、思う存分泳いでみたいな。



◆宮城・岩手では、美味しいものをたくさん、いただいた。
食いしん坊だからでしょうか。マグロと地酒、ホタテのお寿司、じゃじゃめん、冷麺、おそば、ずんだ餅、南部せんべい、どれもみんな美味しくて幸せに感じた。あと牛たんも食べたかったなぁ、なんて。

がらんとしていた石巻の商店街で見つけたうどん屋さん。店先でテイクアウトのうどんを売っていた。1階部分は津波の被害に遭ったから、以前の家具は一切使えないのだろう。お店の中はすっかり片づけられていて、テーブルが出してあるだけだった。その上で、うどんを打つ、切る、ゆる、お皿に盛りつける作業を大人10名ほどがしていた。

うどん屋のみなさんの笑顔は強く、暖かかった。「美味しかった」と伝えたら、とっても嬉しそうだった。だって今伝えたい味があるから再開させたのだもの、美味しくないわけがない。「もっと観光客が来てほしい」「おいしいものはまだたくさんある」、現地の方が胸を張っておっしゃっていた。



◆人が立ち上がるということ、人が人を支えるということ。
貯蓄をはたいて福岡から移り住み、田んぼのガレキ撤去の誘導をするお兄さん。自転車の修理屋を被災地の小学校で開くボランティアのお兄さん。津波で一面ガレキだらけの場所にポツンとある、八百屋さん。津波の被害に遭った次の日に、従業員を集めてお店の再開を誓ったたらこ屋の社長さん。

私は岩手・宮城で会った方々から、人の心を感じた。「これじゃだめだ」「復活させたい」「元気にしたい」「お気をつけて」「ありがとう」「がんばろう」。どれも理屈でなく感情。

「お金がなくなったらどうしよう?」なんてきっと考えてないのだと思う。「とにかく救いたい」の心ひとつ。「お気をつけて」もカタチだけのあいさつではなく、心からの言葉。
土地は荒れ、がれきの山積みばかり。「どうしたら?」なんて考えたら、途方もない。「とにかく絶対復興させるんだ!」とその気持ちひとつが、今も被災地を支えている。

そして、人の心がある場所はきっと再び復興するのだと、思う。

まだまだ至らないけれど、いつか、人の心を支えられる人になりたい。

20110807 @repo017